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2025/05/08(Thu)16:39
雑記 : 音楽 と 日常
2025/05/08(Thu)16:39
2007/03/18(Sun)01:46
ちょっと酔ったので駄文をば失礼。
ビデオゲームの世界における「リアリティ」というのはハード機の性能アップから来る映像や音響の「リアルさ」とは別ものなんじゃないか、って話を、思い付いたことから文字にしてみようかと。
最近ふと、旅行に行ったときの記憶がフラッシュバックします。その時の湿度だったり陽の強さだったり温度だったり匂いだったり音だったりどれも断片的でおぼろげなのですが、フラッシュバックする一瞬はきっかけにすぎず、その場の風景だったりその後の展開、話した内容など全体的なイメージってのは、記憶力と想像力をもってして後頭部の奥の奥から引きずり出すわけです。
子供の頃よく遊んだゲーム(特にRPG)の映像や音楽は今の技術からすればとても「リアル」と呼べるようなものでは無かった、にも関わらず、どうして僕らはカクカクの主人公に感情移入し、ワンパターンな戦闘背景の中で色違いのモンスターと死闘を繰り広げることが出来たのか?
それは、ゲームの映像はあくまできっかけとして、幼いながら、幼い故の想像力で、テレビ画面の向こうの世界を「体験」しようとしていたんではないかと思うわけです。
昨今の「超リアル」な映像のゲームは「リアルさ」を与えはするが、僕達が想像力を駆使して奪い取る「リアルさ」のスペースは確実に減っていると思います。
「ここから先はお前が考えろ(感じろ)」という線引きが明らかに後退している、って話ですが、かといって「昔のファミコン最高だよね」って話ではなく、重要なのは「リアルさ」を得る「きっかけ」としてのゲーム作りをするのが重要なのではないか、という話。
もちろんこれは小説でも絵でも音楽でも、特定のジャンルを除き当てはまることだと思います。
旅行の経験がフラッシュバックした瞬間とその後の数秒、数分は、完全に現実とは切り離された所で追憶した映像なり音なりを「体験」している気がします。
「ファンタジー」ってのは極めてコレに近いことだと思うわけです
つまり何が言いたいかって言うと
現実逃避したい、ってことです
↓プレイヤーに「想像させる」ゲーム作りのバランスは最高
↓石の冷たさや、陽の暖かさ、主人公の心境など色々考えちゃいます。
↓内容はレビュー参照
No.8|雑記|Comment(2)|Trackback()
2007/03/18(Sun)18:33
No.2|by oculoss|URL|Mail|Edit
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なるほど…
2007/03/18(Sun)02:33
No.1|by q|
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